1986-05-13 第104回国会 参議院 社会労働委員会 第13号
本年は、売春防止法制定三十周年に当たる年でありますが、政府公認の集娼制度は解体されたものの、売春の形態は多様化し、潜在化して第三者による女性の搾取は後を絶ちません。 「国連婦人の十年」の起点であった一九七五年の国際婦人年メキシコ会議において、婦人の人格の尊厳及び肉体の不可侵が宣言され、人身売買及び売春の禁止が決議されています。
本年は、売春防止法制定三十周年に当たる年でありますが、政府公認の集娼制度は解体されたものの、売春の形態は多様化し、潜在化して第三者による女性の搾取は後を絶ちません。 「国連婦人の十年」の起点であった一九七五年の国際婦人年メキシコ会議において、婦人の人格の尊厳及び肉体の不可侵が宣言され、人身売買及び売春の禁止が決議されています。
売春防止法制定より二十七年を経過した現在、政府公認の集娼制度は解体されましたが、売春の形態は多様化し、潜在化して第三者による女性の搾取は後を絶ちません。 「国連婦人の十年」の起点であった一九七五年の国際婦人年メキシコ会議において、婦人の人格の尊厳及び肉体の不可侵が宣言され、人身売買及び売春の禁止が決議されています。
売春防止法制定より二十六年を経過した現在、政府公認の集娼制度は解体されたが、売春の形態は多様化し、潜在化して第三者による女性の搾取は後を絶ちません。 「国連婦人の十年」の起点であった一九七五年の国際婦人年メキシコ会議において、婦人の人格の尊厳及び肉体の不可侵が宣言され、人身売買及び売春の禁止が決議されています。
売春防止法制定より二十六年を経過した現在、政府公認の集娼制度は解体されたが、売春の形態は多様化し、潜在化して、第三者による女性の搾取は後を絶ちません。 「国連婦人の十年」の起点であった一九七五年の国際婦人年メキシコ会議において、婦人の人格の尊厳及び肉体の不可侵が宣言され、人身売買及び売春の禁止が決議されています。
売春防止法制定より二十五年を経過した現在、政府公認の集娼制度は解体されましたが、売春の形態は多様化し、潜在化して第三者による女性の搾取は後を絶ちません。 「国連婦人の十年」の起点であった一九七五年の国際婦人年メキシコ会議において、婦人の人格の尊厳及び肉体の不可侵が宣言され、人身売買及び売春の禁止が決議されています。
売春防止法制定により政府公認の集娼制度が解体されてからすでに二十四年を経過した現在も売春の形態は多様化し、潜在化して、第三者による女性の搾取は後を絶ちません。
売春防止法制定より二十三年を経過した現在、政府公認の集娼制度は解体されましたが、売春の形態は多様化し、潜在化して第三者による女性の搾取は後を絶ちません。中でも、個室付浴場業の業態は売春の温床と化し、特殊浴場業の距離規制の悪用によって新たに全国各地に集娼地域を発生させており、そこで役務を提供する女性に対して、浴場業者及び彼らと結託するヒモ、暴力団などによる売春の強制及び搾取が増大しています。
当時、本土もそうでしたけれども、沖繩は本土から切り離されておりましたので、本土に売防法が施行されて、そして赤線地帯が全部ともしびを消して管理売春という形態がなくなりました後も、ずっと本土復帰のときまで、昭和四十七年までもとのままの姿で、集娼制度、つまり管理売春の地域もあるし、さらにそれにつけ加えて大きな基地がありますために、米軍人相手のバー、カフェーの中あるいはそこを根城にして売春を行うということがずっと
売春防止法制定より二十二年を経過した現在、政府公認の集娼制度は解体されましたが、売春の形態は多様化し、潜在化して、第三者による女性の搾取は後を断ちません。中でも、個室付浴場業の業態は売春の温床と化し、特殊浴場業の距離規制の悪用によって新たに全国各地に集娼地域を発生させており、そこで役務を提供する女性に対して、浴場業者及び彼らと結託するヒモ、暴力団などによる売春の強制及び搾取が増大しています。
売春防止法制定より二十一年を経過した現在、政府公認の集娼制度は解体されましたが、売春の形態は多様化し、潜在化して、第三者による女性の搾取は後を絶ちません。中でも、個室付浴場業の業態は売春の温床と化し、特殊浴場業の距離規制の悪用によって、新たに全国各地に集娼地域を発生させており、そこで役務を提供する女性に対して浴場業者及び彼らと結託するひも、暴力団などによる売春の強制及び搾取が増大しています。
売春防止法制定により二十年を経過した現在、政府公認の集娼制度は解体されましたが、売春の形態は多様化し、潜在化して、第三者による女性の搾取は後を絶ちません。中でも個室付浴場業の業態は売春の温床と化し、特殊浴場業の距離規制の悪用によって新たに全国各地に集娼地域を発生させており、そこで役務を提供する女性に対して浴場業者及び彼らと結託するひも、暴力団などによる売春の強制及び搾取が増大しています。
今申しましたように世界の売春の取締りの進歩は、公認制度から黙認制度へ、黙認制度から絶娼主義の廃認制度へ進んでおるのでありまして、形態の上から見ますと集娼制度から散娼制度へ、散娼制度から絶娼主義に進んで参っておるのでありまして、その結果はすべて良好に進んでおったために、世界各国がいずれも何らのちゅうちょなくこれを採用して参ったのであります。
そうして公娼制度の場合、集娼制度というものは、たとえば東京なら東京、ある都会の一隅に売春婦を集めておいて、そしてほかの部分では売春の災いがないようにする、市内の空気をきれいにするのだ、これがつまり離隔制度の起っている理由でございます。ところが実際には市内の一隅にその売笑婦を集めても、決して私娼というものはなくならない。またもとの通りにはえてくる。
○田中(幾)委員 そうすると、やはり集娼制度によっては性病の蔓延は防ぐことはできない、こういうお考えですか。
ちょっと調べたのですが、結局集娼制度を圧迫すれば散娼になる。わが国におきましても慶長の十七年、庄司甚右衛門が徳川幕府に、吉原というところに集娼させてもらいたいということで、全国の敵娼――江戸時代でございますから江戸の散娼を集めて、とりあえず作ったのがあの吉原なのであります。
つまり集娼制度というものをどういうふうに処置して行くか、これが今度の問題の中心点になると思います。しかし少くもただいま申し上げることは、街娼を体よくおつぱらつて問題を解決するような形で、公娼制度は事実上保護して行くとか保持して行くとかいうような態度はとつておりません。
又今日の集娼の面におきましてもいわゆる従来の公娼制度の残存としての集娼制度の面から見ましても、成るほど病毒感染率においてはその率は低いと言われておりますが、いわゆる彼らの業態の実績を徴しますれば三%乃至五%と言われております。併しこれは勿論彼らの業者からの報告であつて必ずしもこの病毒率の数字というものは信じ得るものとは言い難いと思うのです。いわゆる措信し難しというても私は差支ないと思う。
今日は赤線区域と言うておりますけれども、これは昔からの集娼制度をどうするかという、いわゆる散娼にかえるかどうかというようなことについて、私どもこれは非常に苦労したものでありますが、今日公娼制度をなくいたしまして、そうして人権を尊重して、その婦人の自由によつてやることになつておりますけれども、実際問題としていろいろな弊害を起しやすい点は確かにございます。
さような状態において今後の日本の集娼制度が事実上存在するのですが、それを全体を賄い、婦女の身体の自由というものを保護しようということの目的は私は達せられないと思うのです。本法については非常な不備であるのですから、これを根本的に改廃するという御意思はないのですか。
○伊藤修君 第一条の説明が政府の今後におけるところの見解だということになりますれば、従来終戦後今月までとつて来たところの日本のいわゆる事実上存するところの集娼制度、公娼とは申しませんけれども、集娼制度の中において現に前借ということはみずから否定しておるのです。前借は犯罪であるというふうにも考えておるのです。
ただ現在の状況としましては、これを公に集娼制度なり散娼制度としてやるということにつきましては、いろいろ議論がございまして、集娼制度を設けるということもこれは表向には私はできないことじやないかと思つております。
やはり今日のような集娼制度にしておいて、そうしてそれを國家的に統制して行くことが一番よいじやないか。その意味において、この法案は逆行するものである。こういう点の反対陳情を受けたのでありますが、これも一應の議論でありまして、古くから私娼制度と公娼制度の論爭の中心になつておるのでありまして、議論としては相当もう出盡したものと思つております。